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鏡子の家 (新潮文庫) 文庫 – 1964/10/7
三島 由紀夫
(著)
世界の崩壊を信じる貿易会社のエリート社員杉本清一郎、私立大学の拳闘の選手深井峻吉、天分ゆたかな童貞の日本画家山形夏雄、美貌の無名俳優舟木収。彼らは美の追究者なるが故にそれぞれにストイシズムを自らに課し、他人の干渉を許さない。――名門の資産家の令嬢である鏡子の家に集まって来る四人の青年たちが描く生の軌跡を、朝鮮戦争後の頽廃した時代相の中に浮き彫りにする。
- 本の長さ640ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日1964/10/7
- 寸法14.8 x 10.5 x 2 cm
- ISBN-104101050066
- ISBN-13978-4101050065
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登録情報
- 出版社 : 新潮社; 改版 (1964/10/7)
- 発売日 : 1964/10/7
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 640ページ
- ISBN-10 : 4101050066
- ISBN-13 : 978-4101050065
- 寸法 : 14.8 x 10.5 x 2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 233,358位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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(1925-1970)東京生れ。本名、平岡公威。
1947(昭和22)年東大法学部を卒業後、大蔵省に勤務するも9ヶ月で退職、執筆生活に入る。1949年、最初の書き下ろし長編『仮面の告白』を刊行、作家としての地位を確立。
主な著書に、1954年『潮騒』(新潮社文学賞)、1956年『金閣寺』(読売文学賞)、1965年『サド侯爵夫人』(芸術祭賞)等。1970年11月25日、『豊饒の海』第四巻「天人五衰」の最終回原稿を書き上げた後、自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決。ミシマ文学は諸外国語に翻訳され、全世界で愛読される。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年12月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
早すぎたメロドラマというべきか、本当ならもっと一般層に受け入れられても良い作品だと思いました。
2014年7月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
三島の作品はあらかた読んだが、この小説を手にする機会が無かった。
世間の評判があまりよくなかったことと、ページ数が多かったこと。
そして個人的な話になるが、家に三島の直筆サイン入りのこの本があったが
転宅の際に紛失してしまった悔しさから(苦笑)
「金閣寺」という一人の主人公の内面に美を極限まで凝縮させた作品の後に、
比較的平易な文体の青春群像を書いてみたかった、
という心情は人間として自然な流れではないだろうか?
ところどころ冗長な部分もあるにはあるが
当時の風俗や青年を取り巻く状況がよく判り、とても興味深かかった。
登場人物の屈折と挫折、焦りと閉塞感がとてもよく表現されている。
よく映画「甘い生活」(フェリーニ監督)との類似を指摘するコメントがあるが
それは部分的な一致(後半の秘密めいたパーティーの部分)にすぎず
やはり、この作品は三島の見えすぎる目で織り上げた耽美な世界に他ならない。
世間の評判があまりよくなかったことと、ページ数が多かったこと。
そして個人的な話になるが、家に三島の直筆サイン入りのこの本があったが
転宅の際に紛失してしまった悔しさから(苦笑)
「金閣寺」という一人の主人公の内面に美を極限まで凝縮させた作品の後に、
比較的平易な文体の青春群像を書いてみたかった、
という心情は人間として自然な流れではないだろうか?
ところどころ冗長な部分もあるにはあるが
当時の風俗や青年を取り巻く状況がよく判り、とても興味深かかった。
登場人物の屈折と挫折、焦りと閉塞感がとてもよく表現されている。
よく映画「甘い生活」(フェリーニ監督)との類似を指摘するコメントがあるが
それは部分的な一致(後半の秘密めいたパーティーの部分)にすぎず
やはり、この作品は三島の見えすぎる目で織り上げた耽美な世界に他ならない。
2019年12月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
各人各様に時代の世相と対峙しながら、虚無という本質と馴れ合い流転する人々の群像を描いた作品。
2015年2月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
あらゆる物語が、鏡子の家をホームとして繰り広げられる。肉体や、愛、死や芸術と広範囲な分野がそれを象徴する人物と共に描かれ、結末は予想し得ないものである。三島由紀夫のナルシティズムや、ロマンが微細に捉えられてもおり、少し長すぎる部分もあるが、大作であると思う。
2023年7月19日に日本でレビュー済み
1959年三島34歳時の作品です。54年に「潮騒」で新潮社文学賞を、56年には「金閣寺」で読売文学賞を受賞、そして58年には結婚と公私ともに絶頂にあった時期に、約500日を費やして書いた長編です。
ところが文壇からは酷評で失敗作という烙印を押されます。収入のために書き軽く見ていた通俗小説ばかりが売れて映画化までされ、精魂込めて書いた「鏡子の家」が評価されなかったことは三島に大きなショックを与えたようです。
その後の三島の行動がなんとなくおかしな方向へ流れていったのは、この影響がずっと尾を引いたのではと思えてしまいます。
あとがきで田中西二郎氏はこの作品を「三島氏にとってこの大作が氏の絢爛たる作家閲歴においても特にマイルストーン的な意義を持つ」と絶賛されていますが、そうとはいかず、世間的には微妙な下り坂への一歩となったように見えるのは皮肉だと思いました。
個人の好みですが、いまひとつと感じてしまいました。まず冗長なので読んでいてじりじりする部分が何度かありました。それからタイトルのわりには鏡子や鏡子の家が少ししか出てこないのが拍子抜けでした。
清一郎、夏雄、峻吉、収の4人の男性の生き方を別々に語ったものが大部分を占めています。その4人はたまたま鏡子の家に集まって知り合ったというだけで、あまりにもタイプが違い共通項もないため、お互いに仲間意識を持ったというのが説得力がありません。
ただし、他の方も書いておられるようにこの4人はそれぞれ三島の違った面を表現していると思います。繊細で感性の鋭い夏雄は文学者としての三島、物事を深く考えず強さを重視するボクサー峻吉はボディビルで肉体を作り上げた三島、人が望むような外面を演じ、誰も本当の自分を知らないことに安堵をおぼえる清一郎、この人物はまた「沈める滝」の主人公、昇や、ほぼ三島の自伝と言われる「仮面の告白」の主人公にもよく似ています。
三島についてはどうしてもあのショッキングな最後を念頭に置いてその理由を求めるように作品を読んでしまいますが、この小説が書かれた頃にはまだ三島自身、自殺ということはまったく考えていなかったでしょう。にもかかわらず、刃物で切られた傷の痛みと血に快楽を感じる収の姿は後の三島を予感させてしまいます。
夏雄の精神の異常も、三島自身がそういう神経症的な傾向を持っていなければ書けないと思います。夏雄の”彼の存在の感覚はあやふやになり、再び本当の血が流されなければならぬという想念に追いかけられる”という文や、「そんなに筋肉が大切なら、年を取らないうちに一等美しい時に自殺してしまえばいいんです」というセリフも、三島評伝の著者ジョン・ネイスンに三島が言った言葉「もう美しく死ねる年齢は過ぎてしまった」を思い出させます。この時三島はまだ30代でした。
男性4人がメインとなり、女性3人は添え物で終わった感です。鏡子のみはその内面も描かれますが、結局彼女が本当に理解しあっていたのは清一郎のみ。あとの3人は特に彼女が大切な存在だったわけでも、彼女を理解していたようにも見えません。
そういう意味で”鏡子の家”という場の重要性や”巫女のような”とも表現される鏡子の存在が取ってつけたようだったのは残念でした。彼女が最後に浪費しすぎて元の夫と復縁せざるを得なかったのもなんだかなあ・・です。彼女はあんなに嫌がっていた夫が飼う多数の犬の臭いにまみれて人生を送ることになるのか。
肉体と強さを象徴する峻吉を負け犬にし、自己存在の不安を抱える退廃的な収を倒錯死させたのはどうしてなのだろう。
小説としてはいまひとつというのが正直なところです。が、三島という人間を理解するためのヒントを多く含んでいる作品だと思います。
ところが文壇からは酷評で失敗作という烙印を押されます。収入のために書き軽く見ていた通俗小説ばかりが売れて映画化までされ、精魂込めて書いた「鏡子の家」が評価されなかったことは三島に大きなショックを与えたようです。
その後の三島の行動がなんとなくおかしな方向へ流れていったのは、この影響がずっと尾を引いたのではと思えてしまいます。
あとがきで田中西二郎氏はこの作品を「三島氏にとってこの大作が氏の絢爛たる作家閲歴においても特にマイルストーン的な意義を持つ」と絶賛されていますが、そうとはいかず、世間的には微妙な下り坂への一歩となったように見えるのは皮肉だと思いました。
個人の好みですが、いまひとつと感じてしまいました。まず冗長なので読んでいてじりじりする部分が何度かありました。それからタイトルのわりには鏡子や鏡子の家が少ししか出てこないのが拍子抜けでした。
清一郎、夏雄、峻吉、収の4人の男性の生き方を別々に語ったものが大部分を占めています。その4人はたまたま鏡子の家に集まって知り合ったというだけで、あまりにもタイプが違い共通項もないため、お互いに仲間意識を持ったというのが説得力がありません。
ただし、他の方も書いておられるようにこの4人はそれぞれ三島の違った面を表現していると思います。繊細で感性の鋭い夏雄は文学者としての三島、物事を深く考えず強さを重視するボクサー峻吉はボディビルで肉体を作り上げた三島、人が望むような外面を演じ、誰も本当の自分を知らないことに安堵をおぼえる清一郎、この人物はまた「沈める滝」の主人公、昇や、ほぼ三島の自伝と言われる「仮面の告白」の主人公にもよく似ています。
三島についてはどうしてもあのショッキングな最後を念頭に置いてその理由を求めるように作品を読んでしまいますが、この小説が書かれた頃にはまだ三島自身、自殺ということはまったく考えていなかったでしょう。にもかかわらず、刃物で切られた傷の痛みと血に快楽を感じる収の姿は後の三島を予感させてしまいます。
夏雄の精神の異常も、三島自身がそういう神経症的な傾向を持っていなければ書けないと思います。夏雄の”彼の存在の感覚はあやふやになり、再び本当の血が流されなければならぬという想念に追いかけられる”という文や、「そんなに筋肉が大切なら、年を取らないうちに一等美しい時に自殺してしまえばいいんです」というセリフも、三島評伝の著者ジョン・ネイスンに三島が言った言葉「もう美しく死ねる年齢は過ぎてしまった」を思い出させます。この時三島はまだ30代でした。
男性4人がメインとなり、女性3人は添え物で終わった感です。鏡子のみはその内面も描かれますが、結局彼女が本当に理解しあっていたのは清一郎のみ。あとの3人は特に彼女が大切な存在だったわけでも、彼女を理解していたようにも見えません。
そういう意味で”鏡子の家”という場の重要性や”巫女のような”とも表現される鏡子の存在が取ってつけたようだったのは残念でした。彼女が最後に浪費しすぎて元の夫と復縁せざるを得なかったのもなんだかなあ・・です。彼女はあんなに嫌がっていた夫が飼う多数の犬の臭いにまみれて人生を送ることになるのか。
肉体と強さを象徴する峻吉を負け犬にし、自己存在の不安を抱える退廃的な収を倒錯死させたのはどうしてなのだろう。
小説としてはいまひとつというのが正直なところです。が、三島という人間を理解するためのヒントを多く含んでいる作品だと思います。
2020年9月22日に日本でレビュー済み
登場する4人の青年は、どれも三島の投影であると感じられるし、そこを意識しながら読んだ。
芸術とさえ言えるのではないかと感じた言葉の精巧な積み上げ、文体の持つ精神性。
読んでいて、トルストイやドストエフスキーの作品に似た、人間の深淵をのぞくような奥深さもあった。
収と心中することになる金貸しの女社長、秋田清美も強烈だった。
(人間が人間を救済するという思想を、清美はゆるすことができなかった。)p356
のちに、国を憂いて割腹自殺を遂げる萌芽も感じられる。
(すべての男にとって宿命と分かち難い義務の観念、加うるに、有効な自己犠牲、闘争のよろこび、
簡潔な死の帰結、兄にとって何一つ欠けている物はなかった。(略)それだけのものが揃っていたら、
あと長生きして。女を抱いて、月給を取るということが一体なんだろう。)p148
常にシニカルで、物事を斜めから見ている清一郎は理解しづらかった。
心のどこかで世の中の破滅を感じながらも、俗世に生きた、三島の一側面なのだろうか。
p602,603は芸術の真髄のようなものを感じた。
生き方への美意識、肉体への美意識、芸術作品への美意識、思想の美意識。
三島の希有の才能を感じることができる一冊である。
芸術とさえ言えるのではないかと感じた言葉の精巧な積み上げ、文体の持つ精神性。
読んでいて、トルストイやドストエフスキーの作品に似た、人間の深淵をのぞくような奥深さもあった。
収と心中することになる金貸しの女社長、秋田清美も強烈だった。
(人間が人間を救済するという思想を、清美はゆるすことができなかった。)p356
のちに、国を憂いて割腹自殺を遂げる萌芽も感じられる。
(すべての男にとって宿命と分かち難い義務の観念、加うるに、有効な自己犠牲、闘争のよろこび、
簡潔な死の帰結、兄にとって何一つ欠けている物はなかった。(略)それだけのものが揃っていたら、
あと長生きして。女を抱いて、月給を取るということが一体なんだろう。)p148
常にシニカルで、物事を斜めから見ている清一郎は理解しづらかった。
心のどこかで世の中の破滅を感じながらも、俗世に生きた、三島の一側面なのだろうか。
p602,603は芸術の真髄のようなものを感じた。
生き方への美意識、肉体への美意識、芸術作品への美意識、思想の美意識。
三島の希有の才能を感じることができる一冊である。
2015年7月5日に日本でレビュー済み
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わたしは昭和45生まれ。読んでて全く違和感ない、世界が広がり、いるいるこーゆー人。
読み終えて。2015年の今。この本の世界がいまやびっくりしないことを、すでに昭和39年に本にしてるなんて…
しばらく虚無感からぬけれず…三島氏の先見の明は、すごい。初めて読む方は、昭和39年に発行されてる本だとゆーことをお忘れなく。
読み終えて。2015年の今。この本の世界がいまやびっくりしないことを、すでに昭和39年に本にしてるなんて…
しばらく虚無感からぬけれず…三島氏の先見の明は、すごい。初めて読む方は、昭和39年に発行されてる本だとゆーことをお忘れなく。
2015年8月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
タイトルが「境子の家」なのだから、もっと境子の家での場面を描いてほしかった。
登場人物の1人1人の描写が長すぎて、あまり興味を引かれなかった。
登場人物の1人1人の描写が長すぎて、あまり興味を引かれなかった。